親鸞さんの教えとHooponopono
2013年 11月 11日
すごい必然が重なり、私の義父は岩手に眠ることになりました。
実家の宗派とも全く違いますが、
すごいご近所さんです。
いろんな事情があると、途方に暮れてしまうこの私。
ponoしながら、お義父さんは、どこに眠りたいのかな~・・・と
投げかけました。
すると、本当にすんなりと今回のお寺さんにご縁を頂いたのです。
親鸞上人が開祖だそうですが、
法要の後の説法を伺っていた時に、「ああ、これがインスピレーションに従う、ということなのかも」と、
思いました。
これは必然と言わずしてなんというのでしょうか。
ちょっとかいつまんで、その説法の内容を・・・
人は亡くなったと同時に仏様にかえります。
だから、本当は、「お経をさしあげる」というのは、失礼にあたるようなことです。
なぜなら、すぐさま仏様になられるからです。
つまり法要などは、亡くなった人のためももちろんありますが、
多くは生きて残された人たちの為に、行うようなものでしょうね。
だんだんと、心の整理をつけていくのです。
また、亡くなった人の前に座った時、
自分の生き方は本当にこれでいいのか?と自問自答する機会をいただくのです。
それとここでは、なくなった方につける名前を「法名(ほうみょう)」といいます。
どんなに偉かった方でも、2文字です。
亡くなったら、階級はないのですから、みなさん平等なのですよ。
ほかにもいろんなことを、教えてくださった和尚さまは、
迷って迷ってどうしよう・・・と思って初めて電話した時も、
いつも同じ接し方をしてくださいました。
とても安心できたのは、おかげさまだと思っています。
私は、ここで、また自由になっていくのを感じました。
こんなに自由で、ステキな考え方が、何百年も前の日本にあったんだ・・・と
本当に驚きました。
厳しい修行では、悟りは開けない、と教えてくださったそうです。
「他力本願」ということの教えだそうです。
今、Hooponoponoがメジャーになってきている中で、
似たようなインスピレーションは、大昔から各国に降りてきていたのでしょうね。
また、こういう教え以外の教えや学びも、本当に必然で全て存在している、と言われるのも
納得納得です。
ステキなつながりと、先人たちの多大なる知恵に本当に畏敬の念を抱きます。
今ここに愛と感謝を。
実家の宗派とも全く違いますが、
すごいご近所さんです。
いろんな事情があると、途方に暮れてしまうこの私。
ponoしながら、お義父さんは、どこに眠りたいのかな~・・・と
投げかけました。
すると、本当にすんなりと今回のお寺さんにご縁を頂いたのです。
親鸞上人が開祖だそうですが、
法要の後の説法を伺っていた時に、「ああ、これがインスピレーションに従う、ということなのかも」と、
思いました。
これは必然と言わずしてなんというのでしょうか。
ちょっとかいつまんで、その説法の内容を・・・
人は亡くなったと同時に仏様にかえります。
だから、本当は、「お経をさしあげる」というのは、失礼にあたるようなことです。
なぜなら、すぐさま仏様になられるからです。
つまり法要などは、亡くなった人のためももちろんありますが、
多くは生きて残された人たちの為に、行うようなものでしょうね。
だんだんと、心の整理をつけていくのです。
また、亡くなった人の前に座った時、
自分の生き方は本当にこれでいいのか?と自問自答する機会をいただくのです。
それとここでは、なくなった方につける名前を「法名(ほうみょう)」といいます。
どんなに偉かった方でも、2文字です。
亡くなったら、階級はないのですから、みなさん平等なのですよ。
ほかにもいろんなことを、教えてくださった和尚さまは、
迷って迷ってどうしよう・・・と思って初めて電話した時も、
いつも同じ接し方をしてくださいました。
とても安心できたのは、おかげさまだと思っています。
私は、ここで、また自由になっていくのを感じました。
こんなに自由で、ステキな考え方が、何百年も前の日本にあったんだ・・・と
本当に驚きました。
厳しい修行では、悟りは開けない、と教えてくださったそうです。
「他力本願」ということの教えだそうです。
今、Hooponoponoがメジャーになってきている中で、
似たようなインスピレーションは、大昔から各国に降りてきていたのでしょうね。
また、こういう教え以外の教えや学びも、本当に必然で全て存在している、と言われるのも
納得納得です。
ステキなつながりと、先人たちの多大なる知恵に本当に畏敬の念を抱きます。
今ここに愛と感謝を。
by tokushu999
| 2013-11-11 22:36
| 雑記