判断しないということ
2013年 04月 23日
今日の午前中は、子供の同級生の告別式でした。
まだ若いのに、
そして、うちの子と同じ年の子が亡くなってしまったこと、
かなりショックを受けていました。
ですが、今日、ご両親にお会いしたとき、
このお子さんは、短いけれど、人生を全うされたんだろうなぁという、
本当に勝手ではありますが、そういう印象を受けました。
「人生が短いから、かわいそう」
と思うのは、それは違うのだ、と教えていただきました。
誰が「正しい・間違っている」を判断して、
「良い・悪い」を判断して、
「幸せ・不幸」を判断できるのだろうか。
勝手に、こっちが感じているだけの話で、
本当は、彼女はとってもとって幸せだったかもしれない。
時間の短い・長いなんて、関係なかったかもしれない。
今日、また、判断をしない、きめつけをしない、そのほうを選びたい、と思えることに出会えました。
有難いことです。
今ここに愛と感謝を。
ありがとうございます。
ご冥福をお祈りいたします。
まだ若いのに、
そして、うちの子と同じ年の子が亡くなってしまったこと、
かなりショックを受けていました。
ですが、今日、ご両親にお会いしたとき、
このお子さんは、短いけれど、人生を全うされたんだろうなぁという、
本当に勝手ではありますが、そういう印象を受けました。
「人生が短いから、かわいそう」
と思うのは、それは違うのだ、と教えていただきました。
誰が「正しい・間違っている」を判断して、
「良い・悪い」を判断して、
「幸せ・不幸」を判断できるのだろうか。
勝手に、こっちが感じているだけの話で、
本当は、彼女はとってもとって幸せだったかもしれない。
時間の短い・長いなんて、関係なかったかもしれない。
今日、また、判断をしない、きめつけをしない、そのほうを選びたい、と思えることに出会えました。
有難いことです。
今ここに愛と感謝を。
ありがとうございます。
ご冥福をお祈りいたします。
by tokushu999
| 2013-04-23 13:08
| 雑記